案内所も完備されている名胡桃城址跡へ行って来た!
戦国期のたくさんの城跡はありますが、調べる限り群馬県内には大きな天守閣を持ったお城は見あたりません。
私の知り合いの大先輩に歴史と大のお城ファンの方がいます。日本全国の有名どころのお城は全て制覇していると思います。群馬県内にもたくさんの城跡がありますが、ここだけは行った方がいいと言われたお城をここで紹介しています。
紹介している城跡は、大先輩いわく戦国時代の遺構がちゃんと残存していて歴史的な背景もそれなりに判明している城跡です。
そこで今回やって来たのが利根郡みなかみ町下津にあった名胡桃城(なぐるみじょう)。このお城も岩櫃城と同様にNHK大河ドラマ「真田丸」とゆかりがあるお城ですよね。名胡桃城は俳優の草刈正雄さんが演じた真田昌幸の沼田城の支城です。
下記の名胡桃城址の復元想像図のように、胡桃城は利根川と赤谷川の合流地点の段丘上に築城された城です。最初の築城は現在の沼田市周辺を支配していた沼田氏一族の名胡桃氏が明応元年(1492年)に築城。
ちなみに現在の城址は真田昌幸によって築城されたとされてます。ここから沼田城址がある沼田市方面もよく見えてロケーションは最高!私のようなお城の素人は復元想像図があると理解しやすい。復元想像図は名胡桃城案内板を個人的に加工したものです。
名胡桃城跡へのアクセスはよく、国道17号線沿いに面しています。駐車場もそれなりに大きく、名胡桃城址案内所(無料)の脇にあります。
名胡桃城址案内所には、自然の要塞に作られた名胡桃城のことや豊臣秀吉天下統一の発端となる小田原北条征伐のきっかけになった城のことなどが展示されています。
案内所は木曜日は休館で開館は午前9時〜午後4時まで。
遺構は空堀、土塁、虎口、曲輪などが確認できます。
この地域は昔は戦でしょうが、今のこの地域はリンゴ園も有名です。幹線道路は上野と越後を結ぶ三国峠道。
豊臣秀吉の小田原征伐のきっかけとなった名胡桃城
この地域は上野と越後を結ぶ三国峠道で、当時は軍事上重要視されていた沼田地域。
だから戦国末期には上杉、武田、北条の三氏が沼田地域の攻略のため争奪を繰り返した戦の場所です。
天正六年(1578年)に上杉謙信が死去すると、武田と北条は上野を支配下に収めようと侵攻を開始!武田勝頼の命を受けた真田昌幸は、天正七年(1579年)に名胡桃を落城させました。
さらに真田昌幸の野望は沼田城の攻略。そのための前線基地とするため、名胡桃城は大規模に拡張整備されてます。そしてその翌年、真田昌幸は念願だった沼田城を調略しました。
調略により沼田城も手中に納めた真田昌幸は、1582年の武田氏の滅亡後に北条氏と沼田、吾妻領をめぐって争います。
天正15年に豊臣秀吉は大名間の私戦を禁ずる惣無事令を発令。
真田氏と北条氏を丸く収めるために秀吉は沼田城を含む利根川以東を北条領、名胡桃城を含む利根川西は真田領にという裁定を下します。
が、しかーし、沼田城に入城した北条氏方の猪俣邦憲氏が名胡桃城を奪取するという事件が勃発します。いわゆる名胡桃城事件。
これを耳にした秀吉は激怒!私戦を禁じた総無事令に違反する行いとして小田原の北条氏に対し宣戦布告。
北条氏方の一連の名胡桃城を巡るこの事件が、秀吉による小田原征伐のきっかけになりました。
秀吉による小田原征伐の結果、北条氏は滅亡。
その後、全ての沼田領は真田氏が受け継ぎ名胡桃城は廃城となる。名胡桃城が実際に使用されたのは約10年間だったらしい。
本丸址からの三峰山を望む景色は静で美しい!ここで大昔に領地を争う戦があったと聞いても今は平和過ぎて全くピンとこない!
いつの世も人間の欲望はきりがないのですよね!
世界では今も領地を争うような愚かな戦いが続いている地域があるけど、日本はこのままずっと平和であってほしいと思いましたね。
場所:名胡桃城址跡
住所:群馬県利根郡みなかみ町下津付近
案内所・城跡見学:無料
駐車場:無料
案内:名胡桃城跡案内所
時間:午前9時〜午後4時まで(木曜日休館)
名胡桃城址跡の場所と地図