新島襄旧宅と新島襄のエピソードを動画でご紹介します
上毛かるたの知られざる真実
新島襄のエピソード
日本の宗教家であり、同志社英学校を興した新島襄。今回は新島襄旧宅の資料館に行って、ガイドの方にいろいろ聞いたことを新島襄のエピソードとして短く動画にまとめました。
安中市で無料開放している新島襄の旧宅をご紹介
上毛かるたには「新島襄」や「塩原太助」などの偉人が何人か登場するが、子供の頃、そのほとんどの方の偉大な功績を知らないで上毛かるたをやっていました。
今回はその上毛かるたの「へ」、
【平和の使徒、新島襄(へいわのつかい、にいじまじょう)】
新島襄の旧宅とその周辺にある旧安中藩の大名小路、旧安中藩武家長屋をご紹介します。
まずは新島襄の旧宅から!
下記の顔、県民の方ならスグにピンとくると思います。そう、この人が新島襄ですね。沼田城下の塩原太助ではありませんし、戦場カメラマンの渡部陽一さんでもありません。
新島襄先生です。新島襄先生はキリスト教を群馬から広め、教育者でもある平和の使徒の人ですね。
東京生まれで若くして亡くなられた新島襄(享年47歳)は、アメリカでキリスト教徒となり、両親が住む安中へ帰郷しました。
その後、教育(同志社英学校を設立)や布教に尽力を注ぎました。この旧宅は県内活動の拠点となった旧跡で住んでいたわけではありません。
そんな新島襄の旧宅には、写真や遺品、書類などが展示してあり、その展示品は無料で開放されています。
が、しかーし、この日は月曜日で休館日。やっちまいました!
休館日に旧宅へ来てしまい、新島襄先生の写真や遺品を見ることができませんでした。従って外観のみのご紹介になりますのでご容赦ください(泣)機会があればまた今度。
この日は休館日で旧宅の茅葺屋根の補修をしてました。二宮赤城神社の茅葺もそうだったけど、このような特殊な技術を持ってる職人さんが少なくなっているようです。二宮赤城神社と同じ沼田の業者さんかな?
下の写真は新島襄旧宅の庭園です。当時のままかどうかは定かでありません。庭園から家屋を見ると、タイムスリップした気分になれます。
文教の町として知られる安中市は、江戸時代の安中藩主である板倉勝明侯や明治時代の新島襄によって、その基礎が築かれています。
新島襄先生の影響を受けた安中の文化人は、湯浅治郎(政治家・実業家)、海老名弾正(教育者・キリスト教の伝道者)、柏木義円(牧師・キリスト教伝道者)、千木良昌庵(キリスト教伝道者)などがいます。とくに湯浅治郎は味噌や醤油醸造の有田屋に生まれ、弟は詩人の湯浅吉郎(雅号は湯浅半月)です。
現在も営業している安中市の醤油醸造の老舗、有田屋。
新島襄・八重夫妻ゆかりのお店として紹介していた。昔ながらの天然醸造の醤油を作り続けている。ここは湯浅治郎の実家ですね。
この日は残念ながら定休日でした。もうあっちもこっちも最悪〜だ!
旧宅横には駐車場と公衆トイレが整備さています。また、旧宅裏には安中六号古墳があって、安中藩と新島襄に関する石碑がありました。
旧安中藩郡奉行役宅と武家長屋(大名小路)
旧安中藩郡奉行役宅と武家長屋は、国道18号と並行して走る旧中山道である県道125号の中間、132号線沿いにあります。ここから醤油の有田屋や新島襄の旧宅も近いので、セットでまわるのがいいでしょう。
茅葺きの長屋が並んだ敷地内には井戸もあり、武家長屋が復元されています。また、徳川家譜代の大名が統治していた安中城の大名小路沿いには旧安中藩郡奉行役宅(江戸時代)が当時の雰囲気のまま復元されてます。
ただし、こちらは新島襄旧宅と違って中を見るのは有料になります。
家臣の住んだ4軒続きの長屋の全長は約47.3メートルで見た目結構長い!
江戸時代末期に建てられたと推測される武家長屋(安中城西門の東側)。
安中藩の小野直が残した図面をもとに平成に入り、当初の姿に復元したものです。ここも休館日だったので外観のみのレポートになります。全くもう〜〜
後日改めて新島襄旧宅の無料資料館へ来た
安中に用事があって、改めて新島襄旧宅へやって来ました。今回は月曜ではないので無料資料館を無事に見ることが出来ました。
資料館には年老いたガイドさんがいろいろ解説してくれましたが、なぬっ?てことが多くあり、改めて新島襄のことがよくわかりました。
てっきり新島襄は群馬のここを拠点に生涯にわたってキリスト教を伝道したり、大学を創ったりしていたと思っていました。
しかし、ここは県内活動の拠点となった旧跡といっても新島襄の滞在期間はほんのわずかで、生涯にわたっても群馬には数ヶ月しかいなかったようです。
超簡単にまとめれば、群馬にゆかりはあっても忙しく活動していた新島襄は、東京で生まれ、アメリカに渡ってキリスト教の洗礼を受け、帰国後、キリスト教の伝道と学問の大切さを人々に伝え同志社大学を作った人です。
晩年は心臓疾患で訪れていた前橋で倒れ、箱根で静養。その後回復せずに死去。
新島襄は京都東山若王子山頂に葬られ、お墓も妻の八重さんと並んで京都にあります。
安中駅前にある新島学園の中学校と高校も直接新島襄が作ったわけではなく、新島の遺志を継いだ者たちによる教育施設なんですね。
天国にいる新島襄先生に『上毛かるたの「へ」』のことを知らせたら、「何で私が群馬のかるたになるのだ?」って言うかも知れませんね。
場所:大名小路(奉行役宅と武家長屋)
住所:安中市安中三丁目6番1号
見学・入館:市民無料(市外210円、高校生以下無料、団体割引あり)
休館日:月曜(祝日の場合はその翌平日)
場所:新島襄旧宅
住所:安中市安中一丁目7番30号
見学・入館:無料
休館日:月曜(祝日の場合はその翌平日)
入館時間:午前9時〜午後4時30分(12月〜2月は午後4時まで)
新島襄旧宅の場所と地図