前橋岩神神社の裏にある浅間から来た岩神の飛石
岩神の飛石を空撮
バカでかい岩神の飛石
今からおよそ2万4千年前に浅間山が崩れたときに大量の土砂と一緒に吾妻川を下って、渋川から利根川に合流し、この地までどんぶらこと流れ着いた巨大岩が岩神の飛石です。もう神社が隠れるくらいの超巨大な巨石、巨岩です!
岩神稲荷神社の裏にある岩神の飛石
利根川に架かる大渡橋を渡って群馬大学病院方面に向かって走っていくと、左側に赤い鳥居と「岩神稲荷神社」と書かれた赤い旗が見えてくる。ここの目印は大きなイチョウの木と神社の後ろに見える大きな巨岩の岩神の飛石。
一見、普通の神社に見えるけど、岩神稲荷神社の裏には高さ約10メートル、周囲が約70メートルの岩塊(がんかい)があります。この見るからに巨岩は国の天然記念物に指定。さらには地中に深さ約10メートルの地点まで埋もれているそうです。
神社の裏に巨大な岩が見えるのは実に奇妙な景色と光景です。
とにかくでっかい巨大岩(岩神の飛石)。
この巨大岩は、火山岩特有の赤褐色をしています。巨大岩と同じ岩は、吾妻川沿いで多く見つかっているそうです。
岩神稲荷神社の正面で、朱色の鳥居が鮮やかです。交差点の角ですが岩神稲荷神社と書いてある真っ赤な登り旗がたくさん立ってます。
気味が悪い話ですが、案内板を見ると、その昔、ある石工が石材に使おうと岩神の飛石にノミを入れたところ、血が流れ出したという伝説もあるそうです。まるで大映で制作された大魔神の映画のような話ですね。
これを読んだら飛石に少し近づきにくくなりました。もう意気地なしです。
迫力ある20メートル越えのイチョウの木。
国指定天然記念物の岩神の飛石
岩神の飛石は案内看板によると、約10万年以上前に赤城山の大噴火によって飛んだ火山岩が冷え固まったもので、さらに約2万年前に起こった浅間山の噴火による土石流でこの地まで流されてきたと推測されています。
しかし、浅間山研究の第一人者である早川由起夫さんが新説を唱えています。
それは浅間山の山体崩壊によるもの。今から2万4000年前に浅間山の噴火で起きた山体崩壊による泥流が吾妻川に流入して、その後利根川を流れてこの場所で止まったのだとしています。
どちらが正しいかは私にはわかりませんが、こんなに大きな岩塊がここまで流れ着いた水の力と自然の力にただただ驚くばかりです。
岩神の飛石は神社が隠れるくらいの大きさ。
国指定天然記念物の岩神の飛石案内看板を抜粋
周囲が約60m、高さは地表に露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれているこの大きな岩は、「岩神の飛石」と呼ばれています。昔、石工がノミをあてたところ、血が流れ出したという伝説があります。岩は赤褐色の火山岩で、地表には縞のような構造も見えます。しかし大きさのそろった角ばった火山起源の岩や石が多い部分もあります。この岩の火口から溶岩として流れ出したものではなく、火口から噴出した高温の火山岩や火山灰などが冷えて固まってできたものと考えられます。この地点より約8km上流の坂東橋の近くの利根川ぞいの崖では、10万年以上も前に赤城山の山崩れでできた厚い地層の中に同じ岩が認められます。このことから、この岩は赤城火山の上半部が無くなるほどの大規模な山崩れに由来することがわかります。さて前橋の街の地下には、「前橋泥流」と呼ばれる地層が厚く堆積しています。これは約2万年前に浅間山で起こった山崩れが、水を含んで火山泥流に変化して流れてできた地層です。この地層の中にも、岩神の飛石と同じような石が多く含まれています。またここは火山泥流の堆積後、平安時代以前までの間に、利根川が流れていたところでもあります。これらのことから、この岩は現在の坂東橋のあたりの堆積していた地層の中から、約2万年前の火山泥流によりこの近くまで押し流されてきたものと思われます。さらにその後の利根川の洪水によって、今の場所まで運ばれてきたと考えられます。岩神の飛石は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史とその営みを教えてくれます。
【文化庁・群馬県教育委員会・前橋市教育委員会】
危険なので岩には登らないでくださいと書いてあるが、何だか怖くて岩には登るどころか触れない感じ。だって伝説が復活して血が出たら嫌じゃんねぇー。
時期になればキレイであろうイチョウの木。
下から見上げると20メートルはやっぱり高いと感じる。
場所:岩神稲荷神社&岩神の飛石
住所:前橋市昭和町三丁目29-11
見学料:無料
岩神稲荷神社の場所と地図