白井城址跡周辺の八重ザクラと白井宿を空撮!
断崖絶壁に建つ白井城址を空撮
渋川市の断崖絶壁に建つ白井城址と八重ザクラで毎年賑っている白井宿周辺を空撮しました。白井城は利根川と吾妻川の合流点に北から突き出した台地の先端に築かれたお城です。
大自然の要害を上手く利用した渋川市の白井城
戦国期のたくさんの城跡はありますが、調べる限り群馬県内には大きな天守閣を持ったお城は見あたりません。
私の知り合いの大先輩に歴史と大のお城ファンの方がいます。日本全国の有名どころのお城は全て制覇していると思います。群馬県内にもたくさんの城跡がありますが、ここだけは行った方がいいと言われたお城をここで紹介しています。
紹介している城跡は、大先輩いわく戦国時代の遺構がちゃんと残存していて歴史的な背景もそれなりに判明している城跡です。
昔は今のように大型の重機もないし、人力で大きな石や木材を運んでいたわけだから、自然の地形を上手く利用するのが一番手っ取り早いでしょう。
吾妻川と利根川の自然の要害を上手く利用して作られている城が渋川市の白井城です。
案内板によると白井城は梯郭式(ていかくしき)の平城ですね。
城跡を巡っていると案内板にお城の専門用語が出てきます。もちろんお城好きなら専門用語の意味がわかりますが、私のような素人で学がない人間にはわからない用語も多いのです。
白井城の梯郭式(ていかくしき)とは、
本丸を城全体の片隅に配置してお城周りの2方向や3方向を他の曲輪で囲んだ城のことです。この場合は当然本丸の後ろ側が弱くなるので、絶壁などの天然の要害がある場合に向いてるお城なんですよね。似ている作りでは岡山城などが梯郭式の代表例。
白井城は本丸入口の石垣に二つの堀切、土塁、今は畑になってる曲輪等、遺構も数多く残ってます。築城時期は諸悦あって不明とのことですが、長尾景仲(室町時代中期の武将)によって白井城が築城されたと推定されるみたい。長尾景仲はとくに学問に力を入れたお偉いさんだったようです。
白井城南西側に見える吾妻川と景色。『あぶないから入ってはいけません』とあるように、この先は自然の要害で断崖絶壁です。なので本丸を完全に防御しています。
よく見渡せるこの場所は景色も大変良いです。敵を見渡すには最高の場所でしょう。
本丸の南側にある笹郭。この先には吾妻川が流れて断崖絶壁になっている。この絶壁は、今でもちょっと攻め込むには難しいと思う。
長尾景仲によって築かれたとされる白井城
白井城は地形を上手く利用して、船の先端のように全体が三角形に近い構造となってます。また東西に約800m、南北に約1,000mのこの地域では最も大きな城で、枡形門の石垣も現存し、堀も結構深いです!
本丸を始め、北には堀を渡ると二の丸、堀、三の丸があり、北曲輪や総曲輪が構築されています。今は散策に道も整備されているので、見学も楽にできますね。
二の丸、三の丸あたりでは農作業をしている人が多くいました。
白井城は長尾景仲によって築かれた城。長尾氏は上杉謙信に従っていましたが、謙信の没後には北条氏に従ったため、豊臣秀吉による小田原征伐で前田・上杉軍勢に敗れました。
その後の白井城は、井伊直孝が在城していたこともあるようです。
今は二の丸も三の丸も畑になっていて、農作物が植えられている。
戦いとは無縁の景色が広がります。もう、のどかだよねぇー。
左奥に見えるのは渋川市のゴルフ練習場。
長尾氏の子孫は、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に前田利家・上杉景勝の軍勢によって白井城が攻略され、滅亡しました。
白井城は、(しらいじょう)ではなく、(しろいじょう)が正解のようである。
南東側に白井宿が存在しています。近くには道の駅こもちがあって、時期になると周辺の八重桜がキレイです。
なんかいい感じにところどころに井戸が復原されています。
場所:白井城址跡
住所:群馬県渋川市白井581
見学:無料
駐車場:あり
白井城址跡の地図とアクセス