江戸時代の年貢の取り立てに使われた桃瀬の水牢に行って来ました!
中之条町指定史跡 桃瀬の水牢まとめ
ここは北朝鮮の金正恩による恐怖政治じゃないけれど、さかのぼること江戸時代に沼田藩主の真田信利による恐怖政治が行われていた舞台になった場所、桃瀬の水牢です。
場所は桃瀬川の右岸山寄りに位置し、国道145号線(ロマンチック街道)から西へ200mほどのところにあります。桃瀬の水牢(みずろう)と読みます。
ロマンチック街道から細い農道を西に進んでいくと正面に中之条町指定史跡、桃瀬の水牢跡があります。目の前に小さい駐車スペースがあり、隣は民家でした。
江戸時代にこの場所で沼田藩主による拷問が行われていた悲しい過去に、地元の中之条かるたで「昔の悲話を伝える桃瀬の水牢」とうたう札が存在するほど恐ろしい場所であった。
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」で舞台となったのが群馬県北部の沼田市周辺。大河ドラマでは乱世を生き抜くヒーロー真田のイメージがありましたが、実は正反対の事実があるのは、イマイチ知られていないのですよね。
見せしめの意味を持たせた真田信利の拷問は、年貢を納めることができない領民を家族もろとも水牢に入れて、年貢のとりたてに使われました。早い話が北の公開処刑と同じことがこの地域で行われていたと言うこと。
女性は70p位、子供のある者は背負わせ、男性は首が浸かるまで水牢に入れられ、体温低下による拷問が行われました。当然命を落とす者もいて、余りにも悲惨な光景だったとされています。
大きさは約12m四方で周囲を石垣で囲い、そこには木戸が設けてあったようです。近世になり真田伊賀守も使っていたただろうと考えられている数少ない貴重な遺跡みたいです。
吾妻東部に8ヶ所ある中で、この水牢跡がもっともよく原型を残しているそうです。
簡単に桃瀬の水牢まとめ
この水牢は中世の領主である斉藤家、岩櫃城の城主の時代に造られたものとされています。岩櫃城が落城し斉藤家が滅亡すると、城主となった真田家が受継いだとされてます。
桃瀬の水牢には木箱が設置してあり、その中には来訪者の記載帳がありました。多くはないですが、遠方からもここに訪れている方々がいましたね。
天下の義人茂左衛門との関連性
この悲惨な拷問や農民の苦しみに待ったをかけたのが、上毛かるたで知られるこの人でした。江戸時代を生きた義人、杉木 茂左衛門(すぎき もざえもん)です。
当時の沼田藩主の真田信利は、江戸の将軍から年貢の取り立てを百姓六分と決められていたのにも関わらず、勝手に百姓四分としてしまい、民や百姓の生活を苦しめていました。
年貢が収められない百姓は、家族もろとも容赦なく水牢で拷問され民衆の見せしめにされました・・・。
その悪政を見かねた茂左衛門は、江戸の将軍に直訴しようと工夫を凝らし、徳川綱吉に届けることができました。
そうして民や百姓はこの苦しみから開放されたのです。
しかし・・・この時代は直訴した者は重罪になります。残念ながら民や百姓を救った茂左衛門は、妻子と共に磔の刑に処されました。
こうして・・・百姓を悪政から救った人物として、今も茂左衛門は語り継がれているのですよね。まさに天下の義人です!
スポット:桃瀬の水牢(中之条町指定史跡)
住所:群馬県吾妻郡中之条町横尾1648
見学料:無料
駐車場:あり
桃瀬の水牢の場所とアクセス地図