日本で最初の前橋製糸場の跡地へ行って来ました
上毛かるたの「け」と言えば「県都前橋生糸の町」ですよね。
前橋が生糸の町と言われる由来は、当時輸出の花形であった生糸をいち早く取り入れたのが前橋の生糸商人でした。その後、前橋藩が蚕糸に力を注いで、日本初の製糸の機械化に取り組んだのが明治三年です。
まさに明治三年、日本最初の機械製糸場(前橋製糸場)跡地に行って来ましたのでレポートします。
藩営の前橋製糸場は当時ここにありました。
前橋製糸場跡の場所は、市街地の国道17号を渋川の方に走り、広瀬川を超える厩橋(うまやばし)を過ぎた住吉町1丁目交差点の歩道上にあります。写真のように高さが2メートルほどの石碑が建っているだけなので、うっかりしていると通り過ぎてしまいます。
住吉町1丁目交差点の北西側の角です。50メートルほど市街地方面に戻れば厩橋(うまやばし)があり、緩やかに広瀬川が流れています。
この藩営前橋製糸場跡石碑は、昭和36年に前橋商工会議所などによって建立されたようです。石碑には歩道側と車道側に明治三年日本最初の機械製糸場跡と文字が刻まれています。
前橋製糸場跡石碑の側面には、半円筒状の突起に碑文が刻まれています。
世界遺産にも登録された富岡製糸場でもわかるように、群馬県は古くから養蚕の製糸業が盛んでした。その中心地であった前橋は、横浜での貿易が盛んになると生糸の増産と品質改良を求められたそうです。
当時の前橋藩は明治三年にスイス人技師を招いて洋式製糸機械を導入し、ここに製糸機械工場の「前橋製糸所」を設立したんですね。
動力には水力が必要だったので、広瀬川の近くに建てられたようです。
前橋製糸場は富岡製糸より二年も早く操業
石碑は広瀬川が流れる厩橋(うまやばし)のすぐ近くにあります。前橋製糸場を動かすのに水力が必要なので、この地を選んだようです。
ゆるやかに流れる広瀬川です。柳がいい感じにマッチ!
上毛かるたの「に」は「日本で最初の富岡製糸」となっていますが、本来ならば「日本で最初の前橋製糸」が正解なんでしょうか!?
ここへ来てわかったことですが、前橋製糸場の創業は明治三年と刻まれています。富岡製糸場がフランスの機械製糸工場を建てたのが明治5年だから前橋製糸場は富岡製糸場より二年も早く操業していることになります。
さぁ、どっちが正解なのでしょう?
厩橋にも製糸場関連の石碑が刻まれています。今ではまったく面影がない前橋市ですが、全盛期には市内だけでも500軒の製糸工場があったらしいっす。上毛かるたの「ま」、繭と生糸は日本一!はウソじゃない。
繭の形をした石碑。厩橋の横にひっそりあります。
場所:藩営前橋製糸場跡
住所:群馬県前橋市住吉町1丁目交差点北西角
見学料:無料
※尚、専用駐車場はありません
藩営前橋製糸場跡の場所と地図