塩原太助記念館で塩原太助さんの足跡をたどった
群馬県民なら誰しも知っているのが上毛かるた。
思い起こせば小生、子供の頃にあまり意味を気にせず取っていた絵札が何枚もありました。その一つが上毛かるたの「ぬ」、「沼田城下の塩原太助」。その当時、城下町に住んでいたであろう塩原太助さんくらいの認識しかなかった。
今回はあいまいになっていた塩原太助さんの事をもう少し知りたくて、みなかみくんだりの塩原太助記念館にやって来ました。
国道17号線沿いにあるみなかみ町の塩原太助記念館。
珍しいかな農産物直売所の隣に蔵作りの建物が記念館になっている。
入館料は300円、なお館内は撮影禁止でした!館内には太助の遺品や太助が財を成した炭に関する資料などが展示してあります。
ここへ来て、塩原太助が上毛かるたになっているのがよくわかった。
塩原太助さんは江戸時代に商人として才能を発揮し、一代で財を築いた豪商として落語の噺にも登場するお人。主に私財を投じ、公共事業にも尽力した功績が今でも長きに渡って語り継がれるこの地域の偉人さんでした。
真面目、勤勉、努力家、塩原太助みたいな感じ。小生とは真逆なお人柄だ!
塩原太助記念館の隣には塩原太助記念公園があり、すぐ近くには生家が今も残ってます。
あ、そうそう、塩原太助記念館の前にある太助ドライブインは昔からのファンで、最中では太助ドライブインで販売している俵最中が個人的には一番好きかも。
今は近所の食の駅で俵最中が調達できるので、ここまで買いには来ないけどね。
俵最中はとくに餡の甘さが自分好みで昔から大好き。
今までは塩原太助のルーツより太助ドライブインの俵最中に興味があった。だっていつ食べても旨いから・・・
記念館のすぐ横にある塩原太助記念公園には太助神社があり愛馬「あお」と塩原太助像がデデンと建っている。
上毛かるたの絵札に太助と馬が映っているのは、太助の大切な愛馬の「あお」だったんだよね。全然知らなかった・・・
地元の子供が元気よく公園で遊んでいた。こんにちはーと声を掛けたら大きな声で「こんにちはー」と気持ち良く返ってきた。
塩原太助記念公園内には塩原太助と愛馬あおの別れの像が建立されている。
表情や仕草、どう見ても哀愁漂う銅像に仕上がっている。
塩原太助翁記念公園から新潟方面に歩くと、すぐ近くに塩原太助生家も存在している。ここが江戸時代の大商人の塩原太助の生まれた家。
金比羅峠から少し入った場所にある太助馬つなぎの松
もう一つの塩原太助ゆかりの地へやって来た。
ここは高山村から国道17号方面に抜ける金比羅峠から少し入った場所にある「太助馬つなぎの松」。 太助が江戸に向かう別れ際に愛馬「あお」をつないだ老樹の松がある。
金比羅峠は高山村から沼田市方面にトンネルを抜けるとリンゴ園が多い場所。
1743年旧新治村の農家に生まれた塩原太助は両親を早くに亡くした苦労人。二十歳を目前に意地悪い義母にいじめられて江戸に向かう決意を固めた。旧新治村から愛馬「あお」を引いて高山村のこの地の松に江戸への別れに際して愛馬をつないだ松が残っている。
太助、愛馬あおの涙の別れ場所がここ。
三国街道金比羅峠には小さなスポットがいろいろ点在している。
塩原太助は1761年あおとここで別れて江戸に向かう。1785年に炭屋山口屋で奉公、勤勉な働きぶりで蓄財しその後独立。裸一貫から大商人に成長した。塩原太助が偉いのは、富豪になってからも初心の謙虚な気持ちを忘れずに、私財を投じて公共事業で人々の暮らしに大いに役立ったこと。そりゃー後世に語り継がれるお人柄でしょうねぇ。
県人の大先輩に改めて尊敬の念が沸いた。
江戸への別れ馬つなぎの松案内板
赤見山公園内にある太助江戸への別れ馬つなぎの松。これが太助、あおの別れの松だ。
ちなみにこの松は赤松で二代目、樹齢は270年以上だって書いてある。
近くによると結構大きい松だった!
場所:塩原太助記念館
住所:群馬県利根郡みなかみ町新巻
観光案内所・城跡見学:無料
駐車場:無料
沼田城址跡公園の場所と地図