吾妻町にある国定忠治の処刑場跡に行って来ました
赤城の山も今宵限り・・・
この名せりふで有名なのが上州は国定生まれの国定忠治。その伝説の大親分、国定忠治の処刑場跡が吾妻町に残っているので、寒空の中行って来ましたのでご紹介します。
現在の群馬県吾妻郡東吾妻町大戸は大昔に交通の要所、大戸関所がありました。大戸関所は長野県は信州街道の要だった場所です。
その大戸関所を破った国定忠治が関所破りの重罰で処刑され、今もこの場所に処刑場跡として残っています。国定忠治の刑の執行は有名なはりつけ刑ですが、現在そこには慰霊碑が建てられています。ちなみに処刑場跡の駐車も見学も無料となっています。
大戸関所跡
大戸関所は、ここの処刑場跡から草津方面に走って約1キロ離れた場所にあります。関所跡には門の復元があるだけでとくに見どころはありません。しかし大戸関所跡もちょっとしたスポットになっています。小さいながら駐車スペースもあり、この日も先客の老夫婦が一組いました。挨拶したら神奈川の方でした。
復元された大戸関所は作りがかなりちゃっちいです。今なら国定親分ではなくても・・・私でも簡単に関所破りができそうです。
当時、この大戸関所は交通の要所であり、通行手形によって往来の旅人達を厳重に取り締まっていたようです。ですから関所を破った者は重罪になり、処刑された記録がちゃんと今も残っています。そしてその中の一人があの国定忠治というわけです。
親分肌だった国定忠治は他にも色んな罪を犯してますが、命を奪われるような重罪だったのが、ここの関所破りということになります。
さすが忠治は大親分です。国定忠治は子分の仇をとるために、手下をひき連れ大戸関所を破って信州に向かいました。その後関所破りの罪で手配され、国定忠治が41歳の時にこの地で磔刑に処せられます。子分の仇というのがいかにも親分肌だった国定忠治らしいです。
国定忠治の人柄と処刑場跡のアクセス
江戸時代後期の侠客(きょうかく)であった国定忠治は、強きを挫き、弱きを助ける渡世人でした。国定忠治の「国定」は忠治の出生地であり、本名は国定ではなく長岡忠次郎です。
忠治の生地の「国定」は赤城山南麓の村で、現在の群馬県は伊勢崎市国定町。当時で言うところの上野国佐位郡国定村ですよね。
国定忠治のお墓
親分だった国定忠治のお墓は、伊勢崎市国定町の金城山養寿寺と伊勢崎市曲輪町の善應寺にあります。
博打打だった国定忠治はギャンブル好きな人にとっての神的な象徴であり、博徒だった忠治の墓石を削ってそれを持っているとご利益があると信じられ、その忠治のパワーをあやかる人が多かったようです。だから、これ以上お墓が削られないように、今ではお墓の周囲が柵で囲われてます(笑)
詳しくは⇒国定忠治のお墓
国定忠治処刑場跡の場所は、高崎市倉渕町から草津温泉へ通じる草津街道(国道406号)をしばらく走ると右手に「忠治地蔵」の看板があります。無料駐車場あり。
大戸関所跡(復元)はさらに草津へ向かって大戸交差点の右側に関所碑があります。
スポット:国定忠治処刑場跡 大戸関所跡
住所:群馬県吾妻郡 吾妻町大戸付近
見学:無料
駐車場:あり
国定忠治処刑場跡のアクセス