群馬B級スポット

足門町の徳昌寺まで福田元首相のお墓参り

群馬と言えば、山口県や東京都に次ぐ全国第三位の歴代内閣総理大臣を輩出している県。現時点で東北の岩手県と並んで過去に4人の総理大臣が群馬から出ています。

 

よく子供に『末は博士か大臣か』とたとえ言いますが、今回は大臣でもトップのトップ、元総理大臣のお墓参りに行って来ました。

 

福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫といった国のトップを担った面々。4人全員が自民党なので、そうゆう意味では群馬は保守王国と言えるかも知れませんね。

 

雨が降る中、高崎市足門町にあるお寺(天王山徳昌寺)に福田赳夫元首相のお墓参りに行って来ました。高崎渋川線(県道25号線)を渋川の方に向かって走り、足門信号を左折して1分くらい走ると徳昌寺の看板が出てきます。

 

高崎市足門町にある天王山徳昌寺

 

福田元総理が眠る高崎市足門町の徳昌寺の正式名称は、「天王山薬師院 徳昌寺」と言うようです。立派な門の左に徳昌寺、右には真言宗と刻まれています。
福田元総理のお墓は門に向かって左側にあります。

 

高崎市にある徳昌寺(真言宗)

 

徳昌寺聖観音像は戦死した人の供養のために建立してあります。

 

徳昌寺聖観音像

 

奥に見えるのが徳昌寺勤勉の鐘。勤勉は小生とはまったく無縁の言葉ですな。

 

天王山徳昌寺勤勉の鐘

 

雨は降っているものの風がなく、この日は穏やかです。枝垂桜が妙に目に映えるじゃないか。桜は晴れてても雨が降っていてもやっぱりキレイだなぁ。

 

正面から写した徳昌寺

 

福田元総理は、農林大臣、大蔵大臣、外務大臣、行政管理庁長官、経済企画庁長官を経て、第67代の内閣総理大臣を歴任しました。 「人命は地球より重い」発言が有名ですよね。
また当時アジア外交にも積極的に取り組みましたよね。

 

福田赳夫元内閣総理大臣は、平成7年(1995年)、肺気腫のために死去しました。
享年90歳は大往生です。

 

福田赳夫元内閣総理大臣

福田赳夫元内閣総理大臣

 

福田元総理のお墓は高崎市にある徳昌寺にあります

 

徳昌寺の正門から入って右側に大きな鐘が見えます。この鐘は「勤勉の鐘」と名付けられ、碑には福田赳夫元首相の書が刻んであります。

 

徳昌寺にある勤勉の鐘(鐘楼)

 

勤勉の鐘の前に笠をかぶった可愛らしい地蔵がいました。
これを見て何だかキノコとかマリオを連想した。連想に浮かんだとぼしい内容からしても、やっぱり小生には大臣は無理だったみたいだね。

 

徳昌寺にある笠を被った可愛い地蔵

 

徳昌寺の勤勉の鐘も「男はつらいよ」の寅さんに出てくる源公(佐藤蛾次郎)が鳴らす、帝釈天の鐘のように立派な鐘楼(しょうろう)があります。

 

勤勉の鐘(鐘楼)

 

小生のイメージ的には、源ちゃんが夕方に豆腐屋の笛の音を聞きながら帝釈天の鐘をゴーンって鳴らす感じかな。でも柴又の帝釈天って感じではないかな。

 

徳昌寺の花

 

徳昌寺には大きな駐車場がありますが、駐車場側(左側)に福田元総理が眠っているお墓があります。晴れていれば後ろに榛名山が見える方角です。

 

福田元総理のお墓

 

福田赳夫元首相のお墓の周りには畑が広がっていて閑静な場所です。ここから車で5分程の場所に福田赳夫元首相、福田康夫元首相が卒業した金古町立金古小学校(現在:高崎市立金古小学校)があります。

 

福田康夫

 

のちに総理になる長男の康夫さんは東京生まれの東京育ちだと思っていたのですが、戦時中に実家に疎開し、その当時の金古小学校の卒業生でした。
小生には総理というよりは官房長官のイメージが強いですけどね。

 

徳昌寺にある福田赳夫元首相のお墓

 

お墓の入り口には名刺受がありました。ギフト屋の営業の名刺は持っていましたが、さすがにねー。そんなの関係ねぇーって言われるもんね!

 

福田赳夫元首相のお墓にある名刺受

 

お墓は手前側にあって敷地もかなり広いです。今回は平和の感謝と尊敬を込めて、地元の大先輩でもある元総理大臣のお墓参りをさせてもらいました。

 

福田赳夫元首相のお墓(徳昌寺)

 

場所:徳昌寺
住所:群馬県高崎市足門町566
電話:027-373-5529

 

徳昌寺のアクセス


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