蛇穴山古墳(国史跡)の石室と上空を空撮した!
蛇穴山古墳の上を空撮した
国の史跡に指定されている蛇穴山古墳上空をドーローンで撮影してきました。一枚巨石を巧みに加工した横穴式石室は見事です。古墳の裏手には前橋市総社公民館・市民サービスセンターがあり、古墳上空からの眺めは、上毛新聞敷島球場に赤城山が見えました。
蛇穴山古墳は総社古墳群の一基です
とにかく石室の造りが見事だと言う事で総社古墳群の一基である蛇穴山古墳に行って来ました。蛇穴山古墳は総社古墳群の一つで、他にも隣接する宝塔山古墳や二子山古墳、愛宕山古墳、王山古墳などがあります。その特徴は横穴式石室で、中に入れる横穴式石室が残っていました。
あ、そうそう、蛇穴山古墳と書いて(じゃけつざんこふん)と読みます。その昔、この場所でヘビに関する何らかの伝説が残っているそうで、名前の由来になったとかならないとか・・・ 確認はしてません。
蛇穴山古墳の石室前、古墳南側には推定復原図と案内板石碑がありました。案内板にもあるように、とにかくここの見所は石室です。
史跡 蛇穴山古墳
一辺の長さ約40mの方墳である。埋葬主体は横穴式石室であるが、羨道を欠き、玄門と玄室からなる特殊な形をとっている。玄門の前には、羨道の痕跡ともみられる構造と八の字形にひらく前庭がある。石室は天井、奥壁、左右壁ともにみごとに加工した各一枚の巨石で構成されている。天井石、奥壁などの縁はL字形に切り込んで壁の石と組み合わせている。精巧な細工をほどこした玄門とともに、当時の石材加工技術の優秀さを物語っている。石室の規模は玄室長(西)3m、同幅2.6m、同高さ1.8mである。隣接する宝塔山古墳とともに、県内古墳の最終末期に造られたもので、8世紀初頭の頃に位置づけられよう。(案内板石碑より)
専門用語が出てるので簡単に解説しますね。まずは羨道ですが、(えんどうやせんどう)と読み、横穴式古墳で、玄室に通ずる道のことです。玄室(げんしつ)は古墳の内部にある棺を納める室のこと。
石室が見事な蛇穴山古墳は国指定の史跡で石碑も建ってます。国の史跡に指定されたのが昭和49年12月23日、西暦では1974年ですね。
古墳の正確な長さは一辺が39m、高さが5m。古墳の頂上に登りましたが、頂上は二階家の屋根の高さぐらいでしょうか。
古墳の前には五千国用水の水路もありました。その水路の前には焼肉屋。
石碑周辺を見ればわかりますが、手入れがされてないのでこの通り夏場は草がボーボーです。足元に気をつけながら墳丘に登らないと危ないです。
確かに蛇穴山古墳の石室は目を引きますね!現在でもこの巨石を運ぶのはそこそこ大変だと思うなぁ。
器機がない時代によくもまぁ〜と、どうやってここへ?の思い。
一枚巨石が見事な蛇穴山古墳の石室と文字
蛇穴山古墳の石室は、なんでも鑑定団の中島誠之助風に言わせれば、「いい仕事してますね〜」となるでしょうね。石の組み合わせや加工は見事としか言いようがない!
築造年代は7世紀末〜8世紀初頭と考えられ、埋葬施設は両袖型横穴式石室。案内板にもあるように羨道部はありません。
石室天井部の石はとにかく近くで見るとデカいです。
石室内部は隣接する宝塔山古墳と同様に漆喰塗布の痕跡も残っています。
石室の規模は玄室長が3m、幅2.6m、高さが1.8mです。羨道部がないので太陽光が差し込んで、石室内もそこそこ明るい。
とにかくビックリしたのが石室の天井や奥壁、左右壁になっている加工された一枚の巨石。 思ったよりデカいです。縁はL字形に石と組み合わせてあり、ゲームのテトリスを連想しました。
また、奥壁には文字のようなものが書いてあり、懐中電灯で照らしてみましたが文字は読めませんでした。誰がいつ書いたのだろうか?ちなみに案内板には文字の説明は書いてありません。
精巧な細工をほどこした玄門、確かに当時の石材加工技術の優秀さがうかがえます。ここに来ればわかりますが、当時の石工は本当にいい仕事してます。
場所:蛇穴山古墳(横穴式石室)
住所:群馬県前橋市総社町付近(総社公民館前)
見学料:無料
駐車場:あり
国指定史跡:1974年(昭和49年)登録
蛇穴山古墳の場所と地図