天川大島町松並木にある前橋藩刑場跡供養塔ならびに道しるべ
前橋藩刑場跡供養塔(処刑場)ならびに道しるべ
県道2号前橋館林線、通称天川大島の松並木。ここは仕事でもプライベートでも数え切れないほど通っている道なのに、その存在すらまったく気づかなかったb級スポットの前橋藩刑場跡供養塔ならびに道しるべです。
北西から南東にかけて走る県道2号前橋館林線は、周辺の地域や自治体にとっても重要な道路であり、日中の交通量は非常に多い場所。ここから北に走ると高架橋があり、その先に国道50号が横断しています。
この供養塔は、位置的には天川松並木の西端に建てられています。正式名称は前橋藩刑場跡供養塔ならびに道しるべ。前橋市指定重要文化財に昭和50年12月24日に指定されてます。
供養塔の隣はパチンコ屋の大手マルハンが建っています。供養塔には駐車スペースがないので、今回マルハンの駐車場にとめて見学しました。
松並木は江戸時代に処刑場のあった場所であり、前橋藩や沼田藩が移動する主要道路だったみたいですね。まぁ現在も前橋市から館林市に至る交通量の多い主要県道ですけどね。
前橋市指定重要文化財
前橋藩刑場跡供養塔ならびに道しるべ
指定年月日昭和50年12月24日
前橋藩刑場跡供養塔は、天保12(1841)年、当時の天川原村の68名の世話人により刑死者の霊を弔うため建てられました。
揮毫は、現在も三河町にある養行寺の住職で、当時書家として知られていた行妙です。
供養塔は、これまで道路の改修に伴って数回にわたって移動され元々は道路の北側、高架下付近にあったといわれています。
道しるべは、安山岩の自然石を用いて、その正面に「南無阿弥陀仏」その右側に「寶暦五歳」(1755)、左側に「亥十月吉日」とあり、その下に「右 江戸みち 左 あ徒満道」とあります。前橋市教育委員会
前橋藩刑場跡供養塔の並びに小さな道しるべがある。
江戸時代の処刑
江戸時代の刑罰は、大きく分けて、「死刑」「追放刑」「身体刑」に分けられます。
江戸時代の死刑は、下手人、死罪、獄門、磔(はりつけ)、鋸引き(のこぎりびき)、火焙り(ひあぶり)の6種類と武士の切腹があり、下手人と死罪はともに斬首だが、死罪には財産没収が追加されたようだ。
以前の記憶に、NHK大河ドラマ「黄金の日日」 で、川谷拓三演じる杉谷善住坊が、鋸引きで最後を迎えるシーンを思い出した。これは通行人などに一回か二回ずつ鋸を挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰であり、非常に残酷な処刑シーンだったと記憶する。
獄門は死罪より思い刑で首を斬られた後、刑場で首を晒される刑です。いわゆる晒し首というやつですね。磔は獄門よりさらに重い刑で、生きているうちから公衆の面前に晒され、さらに死後も晒されました。獄門は一瞬に命を絶たれますが、磔は一瞬には命がなくならず苦痛を伴う刑だったようです。
死刑の中で最も重い刑が火焙りです。放火犯にはこの刑が適用されました。なぜなら一度火事が起きると多くの人命と財産が失われました。そのため、放火犯に対しては火焙りが下されました。生きたまま火焙りにするのはあまりにも残酷だというので、火焙りの前に絶命させていたという説もあるようです。
前橋藩刑場跡は心霊スポット
松並木は元々処刑場のあった場所で、マニアの間では心霊スポットにもなっている模様。
当時の処刑で切り落とされた生首が霊となって飛び回っているとか、防犯ビデオに奇妙なものが写っているとか、特に霊感のある人には見えるらしいです。
小生には霊感がないし、ここは昼間は交通量が多いため、残念ながら心霊現象は起きませんでした。日中は特に交通量が多く、お化けも出ずらいと思う。
場所:前橋藩刑場跡供養塔(道しるべ)
住所:群馬県前橋市天川大島町290ー5
駐車場:なし
見学:無料