群馬B級スポット

太田の金山城址跡を動画でご紹介しています!

難攻不落の金山城址跡動画

 

金山城址跡を動画で紹介します。金山城の築城は文明元年(1469年) 新田一族の岩松家純によって築城され、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で落城して、その後、廃城となって今に至ります。

 

難攻不落の山城で名高い金山城址跡に参上

 

太田焼きそば(日本三大焼きそば)や中島知久平が創業した中島飛行機(現スバル)で有名な太田市のシンボルと言えば金山。県人なら標高240メートル、比高190メートルの金山は、上毛かるたの「お」、太田金山子育て呑龍(どんりゅう)と聞けばピンとくるのではないですかね。

 

この金山のテッペンにあるのが金山城。難攻不落の名城と言われ、高崎市の『箕輪城』と同じく、日本百名城(群馬県では金山城と箕輪城の2つのみ)に認定されてます。
ちなみに箕輪城が16番目、金山城が17番目に選定。また、この金山城は関東七名城の一つにもなっているのです。

 

金山城は文明元年(1469年)、岩松家純氏が築城したといわれ、金山城や太田金山城以外にも新田金山城と呼ばれることもあるようです。

 

金山城址跡に来てみて、想像以上に立派な見応えある石垣に驚かされました。難攻不落に共鳴し、それがうなずけた瞬間だった。だって今でも本丸に行くのはそこそこ大変だもの。

 

子育て呑龍の駐車場看板

 

こちらが大手通路の先にある敷石に囲まれた日の池。
案内板によると、日の池は籠城時の水を確保する貯水池だけでなく、儀式を行う神聖な池として使われていたようです。

 

日の池(太田金山城址跡)

 

太田市内方面から左に子育て呑龍や右に富士重工、またまた左の史跡金山城跡ガイダンス施設を通り過ぎて、山道を少しだけクネクネ走ると金山の頂上手前まで行けます。
頂上にはトイレや専用駐車場も完備。トイレの上からも生い茂る木が邪魔だけど景色が望めました。

 

案内看板を見ただけでも関東の名城に選ばれている山城らしく、規模がデカイと感じますねぇー。ではでは、金山城址の看板に従って本丸に攻め込んでみましょう!!

 

史跡金山城址の見取り図看板(見附出丸)

 

いかに攻めるのが難しい城であったか!
かの上杉謙信や武田勝頼が金山城を攻めても落ちなかった。この由縁があり、金山城が難攻不落の名城と謳われている理由でしょうね!

 

よくもまぁこんな場所に城を築いたもんだ!現代なら間違いなく築いた職人は、NHKの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』に出ていただろう。
田口トモロヲの独特の語りで、それは金山の大堀切だった!なんて感じでね。

 

西城から本丸にテクテク歩いて進むと、まずは途中に二箇所の掘り切りがあった。大堀切や物見台下の堀切と比べて規模は小さい。基本的に堀切は本丸に近付くにつれ幅が広くて深く造られていた。

 

西矢倉台下堀切(史跡金山城址跡)

 

隣にいた品の良さそうな老女の方が、品のない私に声をかけ教えてくれました。

 

冬の空気が澄んで晴れている日には、静岡と山梨にまたがる富士山や634メートルの東京スカイツリーが見えるとのこと。えーマジっすかー!

 

金山城址跡から見た爽快な景色

 

ここは馬場郭の下に位置する場所。まずは見事な石垣の群れにプチ感動!この辺りから可能な限り当時の復元工事が行われている模様。

 

通路の正面に石積みがあるのは、その先を見せないような工夫がなされているから。確かに手前からは全然先が見えない!その先の右は、堅堀りの谷になっているので攻めづらい。

 

金山城の見事な石垣は馬場下通路(馬場郭の下位置)

 

金山城は日本100名城や関東七名城に恥じない山城

 

ここの発掘調査の写真を見ると石段が組まれていたことがわかります。物見台の基壇は自然の地形に沿って造られている。基壇中央から物見矢倉と考えられる柱穴が4本発見され、釘や火縄銃の弾丸が出土しています。

 

また、下記写真のように物見台から金山城の周囲が良く見渡せる為、上杉謙信が金山城を攻めこむ時には物見台から死角となる今の太田市藤阿久町へ陣を構えたとありました。この見晴ではそうせざるを得ないですね。見えすぎちゃって困るの〜♪

 

物見台の看板(太田金山城址跡)

 

ここで人知れず景色を堪能していたら、滋賀県から100名城めぐりをしている老夫婦に話しかけられた。その後、自分が知ってる範囲で景色等のガイドを務めておいた。今日はこれから箕輪城をめぐって磯部に泊まり、明日は富岡製糸場に行くとのこと。
遠いところ、ご苦労様です。

 

確かにここから見ると、現太田市藤阿久町方面は死角になるようだ!

 

物見台から見た景色(上が赤城方面で下が太田市内方面)

 

物見台から本丸方面へ向かうと馬場曲輪があり、本丸との間に深い大掘り切りで分断されている。掘り切りの下部には二つの池があり、池の名前が「日の池」と「月の池」。

 

山城である金山城は水の確保が生命線であった。そこで馬場曲輪との境にある堀切の下に水を貯める直径7メートル強の貯水池を配置している。

 

太田金山城址跡の月の池

 

敵の侵攻から城を守る重要な場所の大手虎口。石垣の重厚感が難攻不落な感じを醸し出している。

 

太田金山城址跡の大手虎口

 

太田金山城の復元図

 

何とか本丸に攻め込むことが出来ました!

 

金山城本丸跡には、新田義貞を祀る新田神社が創建されてました。参道には樹齢800年といわれる神木(楡の木)があり、新田神社の横には御嶽神社があります。一番高いここからの景色も格別です。

 

ここは大正天皇や昭和天皇、秩父宮殿下など、皇族の方々が参拝されているみたい。金山城跡は整備も行き届いているので、お城ファン以外の方でも楽しめるスポットだと思います。

 

金山城は、天正18年(1590年)、小田原北条氏の滅亡とともに廃城。

 

尚、日本百名城のスタンプを集めている方は、スタンプは南曲輪休憩施設内(中島記念公園)にあり、金山城跡ガイダンス施設にはありませんのでご注意ください。

 

本丸跡(新田神社)

 

日本100名城とは?
財団法人日本城郭協会が2006年に定めた名城の一覧。選定基準は「優れた文化財・史跡」「時代・地域の代表」「著名な歴史の舞台」「各都道府県1城以上5城以内」「環境保存状況や城郭発達史からの観点」となっています。

 

関東七名城
川越城(埼玉県川越市)、忍城(埼玉県行田市)、前橋城(群馬県前橋市)、金山城(群馬県太田市)、唐沢山城(栃木県佐野市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)、多気城(茨城県つくば市)あるいは太田城(茨城県常陸太田市)。

 

スポット:太田金山城址跡
住所:群馬県太田市金山町山頂付近
見学料:無料
駐車場:あり
●金山城跡ガイダンス施設あり
●ハイキングコースあり

 

太田金山城址跡の場所とアクセス地図