上野国分寺跡を上空から動画でご紹介します!
上野国分寺跡を上空から空撮
奈良時代の741年(天平13年)頃に聖武天皇の指令により、国ごとに僧寺と尼寺を造ることになりました。高崎市の上野国分寺跡は、奈良時代の大昔に建てられた国指定史跡です。基壇が復元されている七重塔はその当時に60mの高さを誇り、全国の国分寺の中でも最大規模だったようです。
上野国分寺跡の敷地内に咲く一本桜を空撮
ここは知る人ぞ知る一本桜の名所。高崎市の上野国分寺跡の敷地内に大きな桜の木があります。大きな桜はそびえ立つ一本桜です。満開のサクラは子供でも手で触れる高さから咲き誇っています。
史跡、調査中の上野国分寺跡に行って来ました!
高崎イオンからもほど近い現在調査中の上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)に行って来ました。2015年現在、上野国分寺跡発掘作業中。
発掘作業が進むにつれ、ここの歴史が少しづつ変わっているようです。
写真は国分寺跡ガイダンス施設上野国分寺館。館内には館長らしき人が一人いました。
ここの入館は無料で、親切な館長の説明で大昔にタイムスリップができます。
館長らしき人がすたすたと来て、
ここをまとめた映画が10分で見れますから見ますか?って親切に言われたので、ご期待に応えて見ました。
長ーい長ーいここの歴史をたった10分でまとめたものが見れます。
でも予習をしたおかげで、その後の拝観の理解がスムーズにいきました。
ガイダンス施設の上野国分寺館に展示してある復元図と安中杉並木の杉(国指定天然記念物)。事実なら当時としてはかなりご立派な七重の塔だ!!
上野国分寺館にある復元された七重の塔。
奈良時代に聖武天皇により国の安泰を祈って建てられた七重の塔。ここの七重の塔で安泰のお経を納めていたのかな?!
館長に即され、1000年前の瓦も触ってみました。瓦には字が書いてあるものもあり、それによってここの建設に協力した場所や豪族がわかっているそうです。
また館長によると、調査が進むにつれて全体的に南方向に若干建物の位置が変わっているようです。 ということは、復元図がイマイチ当てにならないということか・・・
まー見た人が生きていないので、調査しながらの歴史作業なのでそれは仕方ないと思った。だって何千年も前のことで去年や一昨年の話じゃないですからね。
タイムスリップが出来れば話は早いですが・・・
上野国分寺跡ガイダンス施設前にある広い跡地
聖武天皇により僧寺と尼寺の建立が進み、全国68の国々に創建された国分僧寺。その一つがここ上野国分寺。国の史跡に指定されています。
当時、聖武天皇は災害や政治の乱れに苦しみ、神頼みも込めて創建を命じたのでしょうね。たぶん・・・。
奈良時代の天平13年(741年)頃のお話だから、気の遠くなるような大昔の話。
上野国分寺(こうずけこくぶんじ)は、群馬県地域は古代より「上野国」と呼ばれていたので、上野国分寺となっています。 また、後になって僧寺も「国分寺」と言われるようになったようです。
この日は発掘調査は休みでしたが草刈り等の作業をしている人が二人いました。敷地はかなり広いので、そこそこの重労働です。ご苦労様!
東西約220メートル、南北約235メートルの広さのこの場所は、周囲に土塀の築垣で囲まれていました。築垣は見事に復元されてます。
案内板によると、創建当時の工法と同じく、棒でつき固めた土を積み上げる版築で復元されてます。何でも東日本では初の本格的な復元らしいっす。
復元された金堂の基壇。塔の基壇は一辺が19.2メートルの正方形。上には17個の礎石が並んでます。塔の規模としては国内最大級らしい。
ここを建設するにあたり、旧碓氷郡や旧勢多郡の豪族の協力があった模様。
この中央には本尊の釈迦像を祭る金堂、それに高さ60.5メートルの七重塔が建てられていたのですね。今でいう東京タワーや東京スカイツリーのような地域のシンボル的建物だったのでしょう。
国分寺跡ガイダンス施設には、人の良さそうな説明好きの館長らしき人がいます。わからないことや質問は、館長らしき人に聞けば謎は解けると思います。平日ならその館長を独り占めにできるかもですよー。
名称:上野国分寺館及び上野国分寺跡(史跡)
住所:群馬県高崎市引間町250−1
開館時間:午前9時30分〜午後4時30分
入館:見学料・無料
駐車場:無料あり
休館日:年末年始
上野国分寺跡のアクセスと地図